生まれ故郷 広島訪問記 その3

原爆ドーム

 8月1日、平和記念資料館で副館長の山根眞裕美氏に面会、8月6日を前にして今は広島を訪れる人が大変多い時期とのことで、啓発を担当する者として是非時間をかけて資料館だけでなくこの公園の全体をじっくりと見てほしいとのことでした。そしてここに来てもらえる人達・グループ・団体には、どんなお手伝いをしてでも、心に必ず何かを、平和への想いを持って帰ってもらいたいと熱く語っておられました。 

 この平和記念資料館では丁度「黒い雨」展が催されていました。あの爆弾炸裂後間もなく「黒い雨」が降ってきた。その状況を体験者が絵や文章にされていたものですが、本当にひどい悲惨な状況が展示されていました。その中で私自身の発見ですが、実は私は当時一歳半、1.5kmの直爆距離で被爆したのですが、家が爆心地の東側1.5km、比治山の北側のところにあったため、その比治山に逃げ込んだと親から聞かされていました。そして黒い雨はそことは反対の西方、及び北方の方角に降り、間近の比治山では降っていなかったということが今回わかりました。結果私は小さい身体に一次被爆はしたけれど黒い雨にもあたらず、二次被爆からは逃れて、おかげさまで今日がある、と改めて知りました。

 そう言えば福島原発も放射線は太平洋方向と一部は内陸北西方向へ飛散(飯館村など)、その時の天候や風向きが人々の運命を変える、そんな天変地異 異変の恐ろしさを改めて感じました。

 しかし、地震は天災であっても克服しなければなりません。まして原子力など人の手で作られるものから大きな災いが生み出されることは絶対あってはなりません。

 今回広島を訪問し、又、数日前に福島・宮城を視察したことを思い出しながら、福島県の職員の方が言われた「人の命を救うこと、それが行政の仕事」この言葉を忘れないでおこうと改めて心に誓いました。

                                                田中英夫 拝

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