生まれ故郷 広島訪問記

 7月31日・8月1日と広島へ行ってきました。東日本の地震、津波、原発事故を思い、議員としての防災、危機管理への参画とは何か、京都及び亀岡の防災危機管理はどうあるべきかなどの思いと、今一度私自身の被爆体験をヒロシマで再確認、当時の惨状と向き合って自らの議員活動の原点を見つめ直そうとの思いで行ってきました。

 併せて、広島県の危機管理課と被爆支援課を訪問。広島県の防災の対応を聞き取りしました。又、広島平和記念公園、及び資料館を訪問、山根副館長にもお会いして今の館の啓発活動などをお伺いしました。

   31日、財団法人広島平和文化センター・広島平和記念資料館 啓発担当主事 竹谷文尚氏に面会しました。亀岡市では毎年(今年で11回目)7月末に「ヒロシマに学ぶ 親子平和の旅」を催しています。私が市長時に始め、今も続いている行事で市から一泊のバス代を補填、宿泊・食事等は参加者負担で毎年約15組30人余の小学生とその保護者が広島を訪れ平和学習をしています。毎回、平和記念資料館にお世話になって、被爆経験者の「語り部さん」に約2時間、当時の話を聞かせていただいています。今回、そのお礼を兼ねて啓発担当課を訪問、竹谷氏に面会、明日副館長さんにお会いする事前打ち合わせと若干の資料館の現状についての聞き取り調査をしました。

 その後、資料館内を見学、以前にも増して充実した内容となっていました。数々の当時を物語る遺品資料を視つつ、原発に対する自分のスタンスの取り方など種々頭の中に課題が浮かびさまざま考えさせられました。又、横10mもあろうかという大写真に被爆直後の爆心地が写されていて、真中に爆心地(現在の平和記念公園)左に原爆ドーム(広島産業奨励館)、右に私の母校本川小学校(鉄筋コンクリート造り)、その二つの建物だけがポツンと残っていて、それ以外は全て粉々に砕け散乱しているという写真でした。7月26日に東北大震災の地 宮城県を視察、その折見た荒浜小学校(4階建ての屋上に全児童が上がって助かったとニュースで繰り返されたところ)も周辺は元々住宅地であったものが全て破壊、流されて、まさに学校だけが廃屋になってポツンと立っていたのを思い出し、改めてショックを受けました。

 その後私の母校、本川小学校を訪問、かつて私の小学校時代は廃屋ともいえるボロ校舎であったが、今は美しい校舎や校庭をある種の懐かしさを感じながら、東北大震災を思いつつ、直接被爆した広島でもこのように復興した、必ず東北も復興は成し遂げられると強く確信できたことでした。

                                       田中英夫 拝

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