福島県訪問記 その2

翌11日は2時間かけて福島市から南相馬市へ、南相馬市役所で村田副市長にお話を聞きました。地震津波の被害は宮城県の方が大きいが福島ではここ南相馬が一番の被害であったこと、原発については市の3分の1が20キロ圏の避難地域、3分の1が30キロ圏の避難準備地域、3分の1が何も規制の無い白地地域と、元々この3つが別々の市町であったものを合併して南相馬市が出来た、その3つの地域がそれぞれ別々の状態となり、市の対策が取りにくい状況にあること、原発補償の一部として2地域には一所帯40万円が支払われたが白地地域にも市の単費で同額を配ったとのこと、今後海岸沿いの地域の復旧をどうするか、今計画を練っている最中とのことであった。大変難しい行政状況にあることに、聞く方の我々も暗たんたる気分になる程であった。

その後、海岸辺りの津波被害状況を視察しつつ市内の軽食屋さんに行った。昼食を終えて店のご夫婦に話を聞いた。「地震後も家族従業員15人でどう再開するかを考えていたが、原発の水蒸気爆発のニュースを見て怖くなって会津方面へ逃げ出した。途中ガソリンがなくなって3晩野宿をした。寒くて寒くてとてもつらい経験だった。やっと会津に着いてそこで京都府から救援に来ておられた職員さんにめぐり会った。京都府がシャトルバスを往復している事を聞いてそれに乗せてもらって奥さんの実家の奈良へ行くことが出来た。今とりあえず夫婦二人ででも店を再開できたのは京都の職員さんのおかげです。とても親切にしてもらってうれしかった。今日は京都の人達が昼食に来ていただくということで待ちに待っていました。ありがとうございました。よろしくお伝えください。」とのことでした。南相馬市役所に教えてもらったお店ですが、全くの偶然にそんな話を聞かされて、縁というものに驚き、感動したことでした。ご夫婦の写真を写して、必ず当時の派遣職員に伝えます。と言ってお別れしました。

その後、相馬市の漁港などいくつかの港湾を見て回りました。相馬港は津波で建物の屋上に漁船が乗り上げた写真がニュースでよく映し出されていた港で、沖の防波堤の上にもまだ一つ二つ船が残されていましたが、港は県の事業として復旧へと動き出していました。

今回の視察は駆け足で4ヵ所を訪問しましたが、夕食場所・昼食場所などで住民の方々のお話も聞けてとても勉強になりました。彼の地の一日も早い復旧復興を祈りつつ、京都の防災にいかに役立ててゆくか、しっかりと考えてみたいと思っています。

                                          田中英夫 拝

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